はじめに


今回取り上げるのは
3大君主の最後の1人、
孫権さんです。


一応最初に書いておきますが
私は呉のファンです。
そのため魏蜀他の武将と
書き方が違うところがありますので
ご了承ください。

あと今回のみ
毒舌調に書いたものを
この記事の下の方に
付けておきます。
暇な方はそちらもご覧ください。



三国志演義の中の孫権さん



孫権は後に長沙の太守となる孫堅の次男として生まれた。
父孫堅が劉表との戦いで死亡すると
兄孫策に従い各地を転戦、
兄が死亡した後その勢力を引き継ぐ。

孫策の勢力を引き継いだ孫権は
まずその力を示すために父の仇、
劉表配下の黄祖討伐を決意。
そして運よく黄祖を討つことに成功して
その実力を内外にしめすことに。


また孫権は領内安定のため
山越族の討伐を行い、
漢民族の支配地域を増やし、
呉の国力をどんどん増強していった。


そんな呉に目を付けたのが
劉表亡き後の荊州を併呑した曹操である。

曹操はその配下の大兵力で
呉を圧迫。

これに対して孫権は
曹操との武力闘争を決意。
周喩に軍権を与える。

結果周喩の軍略により
赤壁で曹操を撃破。


その後劉備に荊州を貸して、
さらに妹を劉備に嫁がせて
その関係を強化する一方、
劉備の目が曹操に向いている間に
約束破って荊州を返そうとしない劉備から
力づくで荊州を返してもらう(奪取する)。


劉備が怒り狂って攻めて来れば
曹操の家臣となり
また陸遜を重用して
劉備を撃破。


そして魏と蜀が北方で消耗戦している間に
国力をさらに増強し、
最終的には帝位につく。

前漢の皇族の子孫を名乗る劉禅、
前漢の功臣の末裔である曹丕に
比べると家柄がたいしたことがない孫権。

その彼が皇帝になるのは
並大抵のことではできない。

それだけ孫権の能力が優れ、
また運が良かった証拠であろう。


ただ帝位についた孫権が
その後順風満帆だったわけではない。

溺愛する長男孫登が病死した後、
跡目を巡って国内が混乱(主に大虎とその夫のせい)。
だが最終的には孫権が断を下し、
呉の分裂は寸でのところで避けられる。


そして西暦252年、
71歳で世を去る。
その後継者となったのは
皇太子の地位を争った
孫和でも孫覇でもなく、
孫権の末子である孫亮だった。


ブラ三の孫権さん


劉備曹操に並ぶ3君主の1人として
かなり優遇されている。

初期カードであるUC孫権は
呉の治世という内政に欠かせない
スキルを持つ重要カードだった。


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その重要さ故に
一度ライトダスのラインナップから
消えた際は
プレイヤーが一致団結して
運営さんにライトダス復帰を求めて猛抗議したものだ
(まあ、あれはUC孫権よりUC劉備を戻す方が主眼だったという意見もあるが)


また若獅子持ちのSR孫権は
未だに大人気であり、
トレード市場に出品されると
有象無象が群がってくる。
ホント罪作りなカードである。


劉備曹操と同じく
これ以降も優遇されるの間違いなし。
これからも大帝さまをみんなで応援しよう。




















おまけ


親が子役人の癖に
皇帝名乗った運がいい男。

だいたい親と兄が
地盤作ってなければ
普通に野垂れ死にしていたの間違いなし。

自分の力では何もできず、
優柔不断。
得意技は軍師に丸投げ。


また強いものにはすぐペコペコする癖あり。
そのくせ隙を見せると野獣のように襲い掛かる。
その犠牲になったのが関羽。


時流に乗って皇帝名乗るけど
その正当性まるでなし。
やっていることは袁術とほぼ同じ。

いや、袁術の玉璽はまだ本物だったし、
袁術自身、袁家という漢の名家出身なので
どこの馬の骨かわからない孫権よりは
だいぶんマシかも。


晩年は完全にぼけ老人。
佞臣が蔓延って蜀並みに宮中が混乱するし、
皇太子の立子に絡んで
実の息子の孫和と孫覇との権力闘争を
止めれないし。

それどころかこの件に絡んで
功臣である陸遜を詰問。
その結果陸遜は憤死するという
最悪の結果となる。


そして最後には孫和や孫覇よりも
末子の孫亮が可愛くなり、
孫和と孫覇を排除して
孫亮を皇太子にする。
なんか四国の姫若(長〇〇部〇親)も
同じようなことしていたイメージが。


劉備や曹操も運が良いイメージがあるが
それと同等、
いやそれ以上に孫権は運が良いのかもしれない。

だって実力がないのに
曹操がなれなかった(ならなかった)
皇帝になったのだから。

だって
劉備のように
息子の将来と国の将来を悲観して
死ぬことがなかったのだから。


※追記(11月22日12時)

明らかな間違いがあったので
一部本文を修正しました。
ご指摘ありがとうございました。